【第三部】 一、盛綱陣屋(もりつなじんや)
徳川幕府は戦国から江戸時代の事を芝居にする事を禁じていたので、この話も大阪冬の陣での真田幸村と信之兄弟が敵味方に分かれて戦ったことを題材にしているが、時代は鎌倉で頼朝の死後、鎌倉の実朝と京方の頼家との争いにしている。鎌倉は実朝の祖父・北條時政が実権をにぎっている。鎌倉は(江戸)で京方は(大阪)。鎌倉(江戸)の北條時政は(徳川家康)である。この争いに佐々木家(真田家)が、鎌倉方には兄の佐々木盛綱(真田信之)がつき、京方には弟の佐々木高綱(真田幸村)がついている。江戸時代の観客はその辺りの二重性をも楽しんでいたのであろうが、そこまでは踏み込めないので、架空の鎌倉時代の芝居として堪能する。
弟高綱は知略家で時政を悩ませている。高綱には息子・小四郎(松本金太郎)がおり、盛綱(仁左衛門)には息子・小三郎(藤間大河)がいる。この小三郎が初陣で従兄弟の小四郎を生け捕りにしてくる。京方の軍使・和田兵衛秀盛(吉右衛門)は自分の首と引き換えに小四郎を逃がしてくれと頼むが盛綱は応じない。盛綱は考える。小四郎に対する情愛から弟の高綱が自分の戦が出来なくなるのではないかと。そこで母の微妙(東蔵)に母の手で小四郎を討ってくれと頼む。ここは、兄弟の情、母と子の情、祖母と孫の情が交差して戦の悲劇性をも伝えるところである。
さらに微妙が小四郎に父の為に切腹してくれと諭す時、外では小四郎の安否をきずかってやって来た母・篝火(時蔵)が事の次第を知りつつなす術も無い。そこへ時政(我當)が高綱の首を討ち取ったとして、盛綱に首実検を命じる。
ここからが盛綱と小四郎の駆け引きであり、観客の推理の為所である。高綱の首を見て子四郎は「父上様!」と叫び自分の刀を自分の腹に突き刺すのである。盛綱はその首が高綱ではない偽首である事を見抜いているので、なぜ小四郎が自害するのか疑問に思う。ここは見せ場である。今回は特に盛綱と小四郎のお互いに見やる目線の位置がピタリときまりお互いの気持ちが通じた息がこちらに伝わってきた。金太郎くん上出来である。苦しさを押し殺し叔父をみつめる小四郎。高綱の首をたしかめながら甥の視線を追う盛綱。盛綱はたと気づく。そして、高綱の首に間違いないと答える。時政は喜び、褒美に鎧櫃を置いてゆく。
盛綱は微妙、妻の早瀬(芝雀)、篝火の前で小四郎をほめてやってくれと、真相を伝える。高綱は自分の偽首を時政に自分の首と思わせ死んだと思い込ませ油断させるつもりであり、その知略を小四郎は父から聞かされそれを守ったのである。自分が父の死を知って後追いしたと見せたのである。息子が後を追うのだから、高綱の首に間違いない、その事を叔父に分かって欲しいと一心に目で伝え、盛綱も小四郎を通して弟の気持ちを理解したのである。盛綱もこの親子によって主従の関係より肉親の情をとったのである。盛綱は主人を裏切ったので自害しようとするが、和田兵衛が鎧櫃に時政の間者が潜んでいることを教え、今死んでは高綱の事もすぐ露見し何もならないから時間を稼ぎ露見してから死んでも遅くは無いと説得し、盛綱も納得するのである。
戦の中での様々な人間関係を描きだし、美しいながらもいかに残酷で悲しいことかを伝える芝居でもある。役者さんたちの立ち居振る舞いの美しさ、威厳、大きさ、情感の表現の豊かさ等が揃えば揃うほど舞台は過去と現代人の心の狭間を埋め共鳴し、さらには現実よりも普遍的な高見へも連れて行ってくれるのである。